
上側がRaspberry Pi Pico、下側がATMEGA4809(約400円のマイコン)を土台にして制作した物体。
こいつらを通信させることでボタンの数を28個に増やそうとして、数日も浪費してしまった。
PicoとArduino、あるいはPythonとC++の連携という部分にロマンを感じるね。
コラボレーションという言葉の意味は本来こういうものを指すのだろう。他人のコンテンツに乱入して売名することではありません。

想定以上に完成まで時間がかかった原因としては、ArduinoからATMEGA4809(マイコン)にプログラムを移行する段階で、互換性に関する部分で罠がいくつもあったことが挙げられる。
もうこのへんになると日本語の情報だけでなく、英語の情報も少なかったりするからどうにもならなかった。
アプリやWebに関するプログラミングと違って、電子工作は不具合の原因がどこにあるのかわかりづらく、回路とプログラムの両方を疑わなければいけない。
今回のようにArduino本体では完璧に動作しているようなケースだと、プログラムには問題がないと誤解して、延々と部品を付けたり取ったりすることになるから困ってしまう。
たまたまライブラリのソースコードにメモ書きが残されていたから原因を特定できたけど、もしも解決できていなかったら嫌になってやめていただろう。

誤解なきように書いておくと、こうした話は決してオレが高度な次元に踏み込んでいるわけではありません。(そもそもArduinoやPicoは組み込み界隈におけるキッズ向け制作環境である)
日本ではなにをやるにしても、ある境界線を超えたところで『バカはここから先には来ないでねw』みたいな見えない壁がそびえ立つということをご理解いただきたい。
英語圏なら人口の多さ(情報の多さ)でカバーされるような問題でも、日本語圏(アジアの小島)では埋められない溝がどこかで生まれてしまって、それが大きな壁として人を遠ざけるようになっている。
だれも悪意を持っていないんだろうけど、見えない他者に対して親切心を持っているわけでもないから、多くの便利なモノが日本では上手く広まっていかないのだろう。
せいぜいオタクが気持ち悪いことをしているね…で世間の反応は終わりです。ツイッターのトレンドが世論と大きく剥離しているのがまさにそれ。

……等という哲学的な思考トレーニングをしていたら、4月も終わってしまいそうで困る。
これからオレを見るときは酸素欠乏症になったテム・レイと思ってください。
あるいは双極性障害患者を病院に連れて行かずに放置してしまうと、こうなってしまうのだという見本と思ってほしい。